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ソース・プリンシプル理解の大前提【その11】”組織のパーパスは何から生まれてくるのか?” 両極性と探究

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ソース・プリンシプル(ソース原理)~”組織のパーパスは何から生まれてくるのか?” 両極性と探究~

ソース・プリンシプルを学ぶ際の斬新さとして、「組織パーパス」の捉え方への新しい視点を得られることがあります。

それは、ソース・プリンシプルでは、「主体や生命体としての組織(オーガニゼーション)」というレンズではなく、「人が織りなす”流れ”(オーガナイジング)」という別のレンズで、いわゆる組織を見ていて、組織という概念を採用していないことに起因しています。

(*もちろん、生命についての最新の議論を考慮すると、例えば、福岡伸一さんが言うように「生命(体)」自体が「流れ」であるという研究もあり、両者は同じ部分へと帰結する可能性も感じています。また、それに連動して、「組織(オーガニゼーション)」の意味や言葉自体も、再発明されていく可能性を感じています)

今回のトム(『Work with Source』著者)との対話は、上記のような背景のもと、組織パーパスへの解像度を上げることで、改めて、「”組織パーパス”というものが何から生まれているのか?」という探究を可能にしてくれるものになります。対話は個別とJUNKANコミュニティ向けのサマリーとなります。

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史郎:「トムが前言ってくれたことでもあるのですが、もし、パーパスという言葉をソース・プリンシプルで使いたいのであれば、それはソース・プリンシプルで言う”ビジョン”や”バリュー”に該当すること。また、組織のパーパスではなくて、”My パーパス、私のパーパス”という表現を使っていたけど、この “My パーパスという表現にはどんな思いや願いが込められているかな?

トム:「僕は組織がビジョンやパーパスを持っているということは無いと考えている。それは、ビジョンやパーパスを持つのは人間だと思っているからなんだ」

史郎:「なるほど」

トム:「というのは、組織がビジョンやパーパスを持つと見ている場合、何が起きているかと言うと、“人々が自分自身のビジョンやパーパスを、組織という、人間が作った、実際には実在していない概念に投影している”ことが起きているだけだからなんだ」

史郎:「なるほど。その場合、オーナーや経営者、経営陣といった影響力を持っている人達のビジョンやパーパスが、集合的な対話プロセスを経た後でさえも、多くの場合、組織パーパスとして投影されていることが多いと感じているよ。これは、ソース・プリンシプルのレンズで見ると、特定の個人である”ソース”から生まれたビジョンを通じて、会社の諸活動が生まれているから当然と言えば当然なんだけど」

トム:「そうなんだ」

史郎:「後、これは自戒も込めてなんだけど、オーナーや経営者は、”組織のビジョンやパーパスとして投影されている『自分(達)のビジョンやパーパス』が、会社のメンバーに大きな影響を与え、結果として、組織パーパスという集合的な投影を生み出していること”にも、自覚的であることが大切だと感じます。自覚的になれると、組織パーパスという手段を使って、組織やメンバーを統治したいという深層心理にも気付けるはずだと思っているよ」

史郎:「これは、(ソース・プリンシプルの考案者である)ピーターが『“組織のパーパス”という表現を使う場合、”人が生まれながらにして備えているソースとしての素質がぼやけてしまう”と考えている。なぜなら、一般的に個人は、組織のパーパスに合わせて振舞ってしまうものだから』と言っていることとも関連すると思っているよ。組織パーパスへの健全な疑いが生まれにくいし、仮に生まれても、疑いや反対意見を扱うプロセスが多くの組織には不足している実感があるよ」

トム:「そうなんだ。(上記のような背景のもと)、組織に投影している個人のビジョンやパーパスを、組織のパーパスと見ていると、次第に、人々は本来、ソースとして持っている創造性を失っていってしまうんだ」

史郎:「共感するよ」

史郎:「日本でも『Reinventing Organizations(組織の再発明)(邦訳:ティール組織)』以降、”組織を生命体と観る視点”、”例えば、組織のパーパスを、生命体である組織から現れたがっているパーパス” と観る視点も広がってきているよ。個人的には、経験を通じて、組織をリアルな”JUNKAN畑”のように感じるバイアスが強くなっていて(笑)、この広がりの本質的な部分には共感している立場でもあります」

史郎:「その中で、僕自身、改めて、“組織のパーパスとは何から生まれているのか?”という、組織パーパスの “そもそも”を問う問いが、健全な両極性を生み、本質的な探究を呼び込む契機となると感じているよ。また、組織に投影しているリソースを個人が取り戻していく過程で、“真に誰もがソースであり、創造性が発揮されている状態”へと近づいていくことを願っていると気づいたよ。トム、斬新な視点をありがとう!」

トム:「ありがとう!本当にそうなんだ」

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以前、フレデリックとの対話の中で共感したことは、彼が、組織のエボリューショナリーパーパス(邦訳:組織の存在目的)は必ずしも言語化する必要がない(誰もが耳を澄ませる機会が大切)と語っていることでした。

良い悪いではなく、経営の仕方として、「組織のエボリューショナリーパーパスを言語化する/ 変化していくため、仮置きとして言語化する/ 言語化しない(耳を澄ます機会を創る)/ あるいは、そもそも、組織のエボリューショナリーパーパスという”組織のパーパス”という考え方自体を採用しない」等、様々なスタイルがあると感じています。

今回のトムとの対話は、「組織という考え方の枠を越えて発想していく可能性」を、僕達にくれていると感じています。

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