2019年のフレデリック来日時に、彼が「”ピーター・カーニックさん(以下、ピーター)”」から教えてもらった「ソース」という考え方について、僕も最初、フレデリックから学びました。とても感謝しています。
その後、実践を通じて、探究したいことが生まれてきたため、ソースの考案者のピーターにスイスでホームステイさせてもらったり、ピーターのサブソースの一人の『Work with Source』著者のトム・ニクソンさん(以下、トム)との継続的な対話を通じて、理解を深めていくことができ、とても楽しい探究になりました。
そもそも、ピーターやトムとの対話は、当時探究していた以下の問いから始まりました。
”組織”のエボリューショナリーパーパスとソース
史郎:“組織”のエボリューショナリーパーパスからの声との近さ(繋がりの程度)」という視点で「ソース」を捉える場合、組織文脈にも依りますが、どうしても、組織のパーパスとソース自身が主となり、パーパス自体への健全な問い(Doubt)が生まれにくくなると感じます。
また、個人のパーパスや人生というものが、組織のパーパスに付随するもの、あるいは、「組織パーパスからの声に近い存在であるソース」に劣後するものという集合的認知が加速することも感じています。
これは、意識構造では、管理パラダイムから抜けることが難しく、経営者や経営陣がメンバーを管理する手段が「人からパーパス」に変わっただけに感じます。つまり、意識構造自体は、「統治者としての意識」が依然として、意図的であれ、無自覚であれ、存在していることを感じてきました。上記のことについて、ピーターやトムはどう考えますか?」という問いでした。
ソース・プリンシプルの最も重要な考え〜誰もが自分の人生のソースであるということ〜
ピーターからの返答は意外なものでした。
ピーター:しろう、いくつかの誤解があるので伝えるね。まず、ソース・プリンシプルの最も重要な考えとは、”私達の誰もが生まれながらにしてのソースであり、自分たちの人生をソースとして生きていく素質が生まれながらにして備わっている”という個人への視点があるんだ。
つまり、組織の前に、個人として、誰もが、”自分の人生を愛してやまないことに注ぐ素質があり”、自分の人生のソースであるということが最初にある考えなんだ。このことがソース・プリンシプルの根幹にある。そのため、ソースワークに優先して、個人のマネーワークを日常的に行い、個人のソースとしての素質を取り戻そうと意図しているんだ
史郎:ありがとう。それが根幹なのですね。共感します
組織パーパスや組織ビジョンという概念は無く、ソース個人のパーパスやビジョンとして捉えている
ピーター:次に、そもそも、ソース・プリンシプルでは、組織のパーパスが、組織ではなく、その組織を始めたソース(特定の個人)から生まれてきたものと捉えている。
つまり、組織パーパスや組織ビジョンという概念は無く、ソース個人のパーパスやビジョンとして捉えているんだ。もちろん、多数の人を魅了するパーパスやビジョンから、そうではないものがある。
史郎:そうなんだね。興味深いです
ピーター:つまり、組織のパーパスは、あくまで、ソースという特定の個人から始まっている。この認識を大切にしている。もちろん、組織のメンバー達は、そのメンバーにとってのソースを生きることができるという大前提がある。
だから、メンバーは、もし組織のソースのパーパスがフィットしなければ、対話の上、組織の外で自分にとって愛してやまない活動に取り組めばよいという考えがある。組織のソースに束縛されることはないんだ。(ソース自身もソースとしての相応しい振る舞い方に日々改善し続ける必要がある)。
以上の見解から、”組織のパーパス”という表現を使う場合、「人が生まれながらにして備えているソースとしての素質がぼやけてしまう」と考えている。
なぜなら、一般的に個人は組織のパーパスに合わせて振舞ってしまうものだから。なので、ソース・プリンシプルでは、組織のパーパスという表現は使っていないんだ。
加えると、僕は組織という言葉自体も使っていない。エンタープライズ、プロジェクト、イニシアティブという表現を時間軸等によって使い分けている。
史郎:ありがとう。ソース・プリンシプルの根幹を直接聴けて、学びになりました。ソースという概念を使う際には、サブソースとして、上記に留意して使っていくね。
また、そもそも、“組織パーパスという概念の無い”ソース・プリンシプルという視点は、世界を観るレンズを増やしてくれ、さらに探究を進めてくれると思っています
ピーターやトムとの対話からの学び
以上の対話は、僕にとって、フレデリックから聴いたソースの学びをさらに発酵してくれましたし、広がりや深みも生まれました🍂
また、当たり前のことではありますが、ある考え方を創った方の想いに誠実でありたいとも感じています。