史郎:「やり方や手法への執着」から「生まれてくることへの驚きや感謝」へのシフトをこうさんはいつから感じられていましたか?
こう:そういった点で、ナラティヴ・セラピーの創始者の「マイケル・ホワイト」や「デイヴィッド・エプストン」達は「技法じゃないんだ」って言ってくれていたんですね。それを聴いていた僕は、「どういうことだろう?」と考えられたんです。なので、そのように言ってくれていた所に僕が居たのは大きいような気がします。
史郎:その中でも、そういう状態にたどり着いたり、導かれるのは、外から見ていると並大抵ではないと感じます。こうさんの方では何を大切にされていますか?
一種の「無力な所」に行かされる感覚 &「時差」が必要
こう:どんなにこちら側が技法を駆使しても、「これは変わらないだろう」と思う時ってあるんですよね。例えば、学校で不登校になっている子って、「これは学校に行くの難しいよな」、「耐えるしかないよな」って思う時があります。そういう時って、「学校に行く」という所に(自分自身が)立てずに、「一緒に聴く」ことしかできないんです。技法を使ってどうにか出来ないことはすごくたくさんあります。それを「どうしたらいいのか?」っていう時、一種の「無力な所」に行かされる感覚もありました。
もう少し経験を積んでいくと、時が過ぎてから偶然、出会ったりして、「その時に、私の話を聴いてくれた」っていう人が出てきたり、「あの時、一緒に居てくれた」っていうことを言ってくれる人が出てくる。そんな所から、「学校へ行こう」ではなくて、「話す」ことが大切なんだと思える機会をもらいました。「時差」が必要なんですね。過ぎ去った人にそういうことを言ってもらったことがあって。そうやって、教えてもらったのが大きい気がします。
史郎:時差が必要で。過ぎ去った後に、偶然会うというのも不思議だと感じました。
こう:うん。そうなんです。
優子:自分にも「あの時、話を聴いてくれた」と、後から振り返って感謝が湧き上がってくる経験があったことを思い出しました。手法や技法よりも、「その時、一緒に居てくれた」ことが大事なんだと感じました。自分もつらいときに話を聴いてくれ、逃げ場になってくれた人が居たから、生きてこれたんだなぁと思いました。
「ただ、その場に一緒にいて、一緒に話を聴く」ことしかできなかった
こう:そうですよね。で、そういう話、僕はカウンセリングなので、人生の苦しい話を聴いているんです。僕に、もちろんお世辞もあると思うんだけど、「自分が生きているのはあの時の経験があった」と言ってくれるんです。面白いのは、自分では「一切、何もできなかった」と思っていたことがあって。苦しみの緩和も導くこともできずに、「ただ、その場に一緒にいて、一緒に話を聴く」ことしかできなかったと。
自分ではそう評価しているものなのに、「あの時が無かったら、なんか生きている気がしない」とか「あの時に、いのちを救われた気がする」とかという話を聴くと「あぁ、そっかぁ」って思うんですよね。それは絶対大切なんだと。「何かすることが大切なのではなくて、しっかり、その人に向かって話をすることが大切なんだって思うようにしよう」と。そういう有難いコメントが偶然来て、そんな風に思えますよね、やっぱり。
繰り返すんですけど「何かやれた感覚」はないんです
史郎:ありがとうございます!福島でも、お話を聴かれたと記事で拝見したのですが、福島での経験も繋がっていますか?
こう:おもしろいですよね。僕が行っていたのは、福島の原子力の心配のあるとこではなく、宮城県の気仙沼なんですね。その時も何もできないままいて。たまたま、2年後、4年後、6年後とかに再び訪れる機会をもらっているんですね。行くたびに、「あの時、一緒に居てくれた」とか、何か「そういう存在に僕を見てもらっている」ことに気付くんです。繰り返すんですけど、「何かやれた感覚」はないんです。でも、実はそれが「ミソ」だと思っていて(笑)。
僕の方は何かこう、「カウンセリングらしきことはしてないじゃん」って思ったりしていて。「何がいいんだ」ってなるんですよ。「わかんない」って。でもここでは、自分の職務もあるし、話かけて、「どんなことがあったんですか?」って聴いただけなんですけど。受け手の方はまったく違っていて。このことは、とても興味深いですね。
その時は「本当に待っててくれたんだぁ」と思えた
こう:それでまた、去年に気仙沼へ行く時があったんです。僕は「よく来てくれたね」って言われても、いつもはお世辞だと思うタイプなんですけど、その時は「本当に待っててくれたんだぁ」と思えたんです。嬉しいというよりも、「相手にとって、こんなに大切なことになるんだなぁ」って実感できたんですよね。嬉しいこともあるし、嬉しいですけど、それよりも、「あぁ、やっぱり、一緒にいることを大切にしていこう」って思えますよね。
優子:あぁ~。ありがとうございます。「待っててくれたんだぁ」っていうシーンの情景を勝手に思い浮かべて、私も胸がジーンとしています。
こう:ねぇ。ジーンとするよね。。「あぁ、待っててくれたんだぁ」。それをね、土地の人に言ったんですよ。その土地の人に。そしたら、「今感じたんですか?」って。「前から伝えていたじゃないですか」って。しみじみ感じたのはその時だったんだよね(笑)面白いよね。
優子:その時にしみじみと感じることが起こったんですね。うんうん。その「前から伝えていたじゃないですか?」っていう人の、その言葉に、いたずらめいた感じと嬉しい感じが混ざっていることを感じました。そっかぁ。こうさんがその時にすごいしみじみと感じたのは、どんなことが、そうさせたと感じますか?
「あんな風に話せる場面、今はないですよ」
こう:どんなことが。。やっぱり、僕に見せてくれる一面ですよね。例えば、僕に色んなことを話してくれる方がいて。その人は立場のある人で。後から「あんな風に話せる場面、今はないですよ」って言われたんです。それが1つ。
もう1つ重なっていて。その人は先生という立場ではなくて、学校に関わっている方なんですが、おばあちゃんになっている女性が、海が近いので、その日解禁になっているあわびを持ってくるんですよ。わざわざ取り寄せて来たんだみたいな。「どうしても食べさせたいから」って。何かジーンと来ました。特にその2つがあって、そうなんだぁって思った感じがしました。
史郎:解禁日に!そういった普段には無いことがあったっていうことなんですね~。こうさん、ありがとうございます!面白いです!お互いのワークをした感想を話しながら、手法ではなく、「その場に居るしかできないけど、それがとても大切」なんだとか。
こう:うんうん
史郎:僕も循環経営の支援をさせて頂いているので、思わず頷いていました。こうさん、お時間は大丈夫ですか?
こう:大丈夫大丈夫!
史郎:それでは休憩後、「改めて、お互いを知る」みたいな、NHKのスイッチインタビューみたいな感じでやれたらと思っています。それでは、一旦、休憩に入ります~。こうさん、ゆうちゃん、ありがとうございます!
以降、随時更新します^^