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循環畑×ナラティヴ

【ナラティヴ・セラピーと循環畑・循環経営との出逢いシリーズ】第二話:「ナラティヴ」から「循環畑」へ −その①−

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(第一話はこちら)

史郎:では、今度はこうさんの方から「循環畑に来られてから、今感じていること」を聴かせていただけたら嬉しいです。

こう:まず、声を掛けて頂いたことが嬉しかったです。昔、自然農法には興味があったことがあったんです。違う縁があったら、人生でやっていたことだと思います。実際、畑がある場所に住むことも考えていました。昔やりたかったことに触れる機会を頂いたことが嬉しかったです。それが最初に一番大きかったことです。

「無駄な力がいらない」

こう:循環畑について色々考えていくと、日本では違う意味で取られるんですが、僕の中では繋がっている言葉があって。「合理的」という言葉で。近代社会だと「能率的」や「無駄をなくせ」とか。そういう言葉って自然の畑づくり(循環畑)には馴染まない言葉かもしれないのですが、僕の中で自然農法は「理にかなっている」と感じています。「無駄な力がいらない」というか。ものすごい「理にかなっている」と思います。僕、この「理にかなっている」やり方って、好みなんですよ(笑)。

実際は人間の方が「合理的な理屈」を持ち出してうまくいかないことが多いのですけど。「(理にかなっているという意味での)合理的」にやっていくと、関係しあって成長していくんだと思います。「理にかなっていることを徹底したら、どういうことが起きるのか?」を見せてくれる場が循環畑だと感じています。中々見えにくいけど、藤沢の循環畑がまさに、「理にかなっていることを徹底していくと野菜は育つんだ」ということを見せてくれていますよね。そこに「気持ち良さ」があります。

「物事、こういう風になるんだよ」ということを突き詰めていくと、やっぱりそうなるんだと。「気持ちの良いもの」になるんですね。藤沢でそれを見せて頂いて、「やっぱり育つんだよな」と感じていて。見ていて「気持ちがいい」です。

「僕の手法がうまくいった気持ちよさ」ではなくて「その人が自分で見つけられるという気持ちよさ」

こうナラティヴをやっている僕も、「気持ちよさ」があるからやっています。僕たちがどれだけ「手を掛けたから立ち直った」ということよりも、一人では息詰まってしまうけど、「傍にいる」だけで、視点が変わったたり、色んな見方をしたり。なんていうか、「気持ちいい」と感じます。「僕の手法がうまくいった気持ちよさ」ではなくて、「その人が自分で見つけられるだろうという気持ちよさ」。そうやっていたらそういう風になるものですよね。「人が(自分自身で)見つけられるっていう気持ちよさ」。

「出てくるものに感謝することに立つ」

こう:この辺は作物が育つことにリンクしていくと感じています。藤沢の循環畑のように「虫がいるにも関わらず、雨水だけで、水や肥料や農薬も無しで成長するんだ」という。そういう「気持ちよさ」があります。結果論的には、作物が実際に出来ているという「驚き」があって。方法論的にはとても「合理的(理にかなっている)」。「そうやったら、ちゃんと実るんだ」という結果の合理性。何かを「コントロールする」となるとドツボにはまると思います。「出てくるものに感謝することに立つ」と。結果というか「出てきたものを有難い」と思える。そこには立たないといけないと思います。

そこに立った者にとっては、循環畑は「合理的」というか「理屈にあっている」感じがします。優子さんがおっしゃった「循環の根本」であり、オリジンである「自然の流れ」に近い「合理性」があるんだなと。あぁいう(藤沢の循環畑のように)スペース的には広くなくても、それを感じられている。「大切なことを見せてくれるんだ」と感じました。今、そういう言葉になりました。

史郎:ありがとうございます!まさに、合理的。理にかなっている部分。結果的にこんなものが出てくるんだねという驚き。ゆうちゃんの方で、こうさんのお話を聴いて、感じていることがあれば。

「虫さんが来ているのはどんな意味があるんだろう?」

優子:こうさんのお話を聴いていて、「起こることに意味がある」ということや、「起こることへの感謝」が自分にもあったなぁって感じました。こうさんのナラティヴ・ワークをしていても、「出てくるものへの感謝」があったんだなぁと感じます。

こう:うんうん。ねぇ。

優子人間の視点だけだと、虫さんにも「このやろう!」となりやすいと感じています。でも、「虫さんが来ているのはどんな意味があるんだろう?」とか、「何をしてくれているんだろう?」とかと考えていくと、「感謝」が湧いてくる感覚があります。弱い株を間引いてくれていたり、うんちをして「リン」をくれていたり。「そこには感謝がある」ことが繋がってきました。

史郎:そうだよね。「結果をコントロールする」とドツボだけど、「出てくることへの感謝がある」ことに立つと見方が変わってきますよね。こうさんが言っていた、「僕の手法がうまくいったことへの気持ちよさではなく、こうやって人は自分で見つけて変わっていくんだということが嬉しい」という部分。ここが野菜と繋がってきました。ゆうちゃんはどう感じていますか?

「この土地や畑が願っていることは何だろう?」という所に立つ

優子:何かを始める時に、手法について学び、それを実践してみることは大切なプロセスで、私も先輩方から様々な手法を学べたことで実践を始めることができました。その上で、実際に実践を重ねていく中で循環畑では、「思いがけないこと」が起こってくるんです。すると、手法も大切だけれど、それを一旦脇に置いて、今目の前で「起こっていることにはどんな意味があるのだろう?」「自分自身で感じ考えることの大切さ」に、徐々に気付いていったように感じています。また、自分が実践している農法とは違う農法を実践されている方達とも触れ合うことで、「違う農法の方達も願っていることに同じようなことがある」と気づきました。そんな経験を経て「そこで起こっていること・生まれてくることへの感謝」を感じました。その部分とこうさんの言う「気持ちよさ」が繋がっています。

史郎:まさに「やり方や手法へのこだわり」から「生まれてくることへの感謝」に変化していますよね。その変化は具体的にどんなときに生まれましたか?

優子:生まれたのは、ある有機農法を実践されている先生のところに行った時です。その先生は「生命の尊厳」を大切にされていて。その言葉や一緒に過ごさせて頂いた1年程度の経験を通じて、先生の「世界の見方」が「気持ちよくて、素敵だなぁ」と思ったんです。自分の中で生まれてきたその気持ちに気づけたことは、『生まれてくることへの感謝』に変化する上で大きかったと感じています。

史郎:この体験は、ゆうちゃんの中でまさに、視点が変化した時だったのだなぁとしみじみと感じています。今は「いのちの循環」というエネルギーを大切にして、シンプルに「循環畑」と呼んでいます。

優子:ありがとう。有機農法を実践されている方が大切にしていることが素敵だなぁと思った感覚、「繋がれる感覚」に素直になろうと思いました。

また、循環畑で気づかない間に小さな木が芽吹いているのを見たときに、「この土地や畑が願っていることは何だろう?」という問いも生まれてきました。人・野菜・野草・虫・微生物という様々な生き物がともに織りなしている「循環畑」という一種のシステム自体が、どこに向かいたがっているのかということも探究していきたいと感じています。そこに立つと自然と『生まれてくることへの感謝』が湧き出てくる、そんな感覚があります。

次回は「やり方や手法への執着」から「生まれてくることへの驚きや感謝」へのシフトをお聴きしていきます。
「第三話:「ナラティヴ」から「循環畑」へ −その②−」(近日公開)へと続きます。

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