このシリーズでは、ニュージーランドで長年、ナラティヴ・セラピーを実践されてきた国重浩一さん(こうさん)と、日本で循環畑※を実践されてきた吉原優子さん(ゆうこさん)、そして、私、循環経営に取り組んでいる吉原史郎(しろう)の3名の循環畑やオンラインでの「語り」を記事としてお送りしていきます。
お子さんを中心に国を超えて、人々の語りと共に生きてこられた「こうさん」。
人と自然が共に生きる象徴としての循環畑と共に生きてこられた「ゆうこさん」。
一見、異分野のように感じられるお二人の語りは、混ざりあうところも多く、聴いていて、実に面白いです。私(しろう)も含めて、一人でも多くの皆さんに、お二人の「語り」を楽しんでもらえたら嬉しいです。
吉原優子:循環畑 実践観察家
略歴:全国14箇所の循環畑での実践をもとに、自然の恵みが循環する畑を実践研究中。「野菜の庭部」にて、野菜作りに関するレポートを公開しています^^循環畑とは?
・農薬や肥料に頼らず、自然の循環を大切にした畑のこと。様々な生物が共に生き、いのちを繋ぐ「いのちの循環」が起こっています。そこでの「いのちの時間」に触れることで、自然と「心の循環」もしていきます。そんな畑のことを循環畑と呼んでいます。
※「循環畑」とは・・・
1.土地の声に耳を澄ます
2.いのちがめぐる循環を大切にする(無農薬/無化学肥料/雨水が基本)
3.発見する「楽しさ」と共にいる
4.あらゆる農法や知恵から学ぶ
国重浩一: ニュージーランド、ハミルトン市在住。NZ現地NPO法人ダイバーシティ・カウンセリングNZを2013年に有志と共に立ち上げ、移民や元難民に対する心理支援を提供。2019年には、東京に一般社団法人ナラティヴ実践協働研究センターを有志と共に立ち上げる。
著書に「ナラティヴ・セラピーの会話術」「震災被災地で心理援助職に何ができるのか」「どもる子どもとの対話」、その他翻訳書をいくつか。2020年2月「ナラティヴ・セラピーのダイアログ:他者と紡ぐ治療的会話、その〈言語〉を求めて」を北大路書房から出版。ナラティヴ・セラピーとは?
・「何がナラティヴ・セラピーであるか」と具体的には定義できないものの、その 根底にある思想を共有していることで、それをナラティヴ・セラピーであると見なすことができるのではないかと考えるのです。それは、人を問題の主たる責任者であると位置づけることを拒絶し、ものごとの「本当の真実 」は存在せず、ただそのことを語るストーリーが存在するという立場を取ること、そして、その人自身に自分の人生を生き抜いていくこ とのできる資質、資源、能力が必ずや存在しているという仮説を持っていることなどが あげられるでしょう。
つまり、その人には必ずや希望があるのだという信念を持っていること、と言ってもいいでしょう。(『ナラティヴ・セラピーの会話術』12頁)
吉原史郎:循環経営支援家
略歴:自然の循環畑での身体経験を軸にした循環経営の支援家。リゾートホテルの事業再生下での経営が全ての土台。ティール組織とホラクラシーの日本への紹介と実践にも注力。著書『実務でつかむ!ティール組織』。共訳書『自主経営組織のはじめ方』。自社メディア『経営の新潮流』。
2020年7月28日、夏真っ盛りのこの日、こうさんが藤沢にあるNatural Organizations Lab(NOL)の循環畑を訪問して下さいました。ゆうちゃんから、普段やっている「心の循環」ワークをこうさんに体験してもらいます。
優子:「どこでもいいので、循環畑の中で、どこか、心が惹かれる場所があれば、そこに立ってみてください」
こう:(「本当にどこに行ってもいいんだなぁ」と思いながら)循環畑を歩きながら、心惹かれる場所を探し、立ち止まる。
優子:「…こうさん、そこのどんなところに惹かれていますか?」
循環畑での「心の循環」ワークが終わり、ゆうちゃんの方でも、こうさんの「ナラティヴ・ワーク」を体験します。ナラティヴ・ワークでは、「今取り組んでいる活動や仕事の意味や未来」について、ペアになってインタビュー形式でお互いに聴いていきます。途中、話し手の方から聴き手に「私(話し手)の話の中で、あなた(聴き手)の心の琴線に触れたのはどこですか?」と聴く場面があります。この部分はとてもユニークです。
お互いのワークの体験を発酵しながら、こうさんがニュージーランドへ戻ったタイミング(8月中旬)でオンライン対話を行いました。私、史郎が媒介役としてお聞きしています。それでは、『第一話:「循環畑」と「ナラティヴ」の出逢い』を楽しんでもらえたらと思います。
第一話:「循環畑」と「ナラティヴ」の出逢い
史郎:こうさん、ゆうちゃん、先日は藤沢の循環畑でありがとうございました。また、今日はZoomにて、重ねてありがとうございます!今日の前半では、先日の「お互いのワークをしてみた感想のシェア」から始められたらいいなと思っています。ゆうちゃんがこうさんの「ナラティヴ・ワーク」をやってみた感想からお聴きしていきます。もし、お互いに親和性を感じていたら、それもお願いします。こうさんの方も、「循環畑での心の循環ワーク」の感想をお願いします。
次に後半では、「それぞれを知るフリー対話」を予定しています。循環畑とナラティヴ・セラピーについて、お互いの理解を深めていきたいです。こうさんの方にも「そもそも、ナラティヴとは?」や「どんな時にナラティヴで無くなるか?」等をお聴きしたいと思っています。逆を言うことでそのものを理解できればいいかなと思っています。
対話をしながら、何かが生まれそうでしたら、ナラティヴと循環畑が交わることで何が生まれてくるのかも話してみたいです。それでは、ゆうちゃんの方からこうさんの「ナラティヴ・ワーク」をやってみた感想のシェアをお願いします^^
思いがけないことが出てくる「ナラティヴ・ワーク」
優子:昨日、史郎くんと改めてフレッシュな形で「ナラティヴ・ワーク」の2回目をやってみました。すると、「思いがけないことが出てくる」というのが分かる感じがあって。1回目の時は出てこなかったんですけど、今の循環畑に取り組み始めたきっかけを聴いてもらうことで、実は母親が環境や食べ物に熱心だったとか、小学校の時に読んだ『日本の子どもたちが地球を救う50の方法』という本が出てきたりました。実は、昔、アメリカの大統領に手紙を書こうとしていたんです。
今まで出てこなかったことが言葉として発せられたがっている感じでした。話さざるを得ない(笑)。そんなに大切だと思っていなかったのですが、大切なことだと改めて感じました。循環っていうのが大事なワードだと思っていたのですが、ワードではなくて感覚が自分のオリジン(源)に近づいていく感覚があって。自分の中で流れていることが大事。「循環」の「元の質感」に触れられた感覚がありました。
史郎:ありがとうございます。他には何かありそうですか?例えば、「琴線に触れた」ところの部分とか。
優子:うるっと来ていました(笑)。私は以前、電力会社で働いていて、その後、オーダーメイドの靴作りをして、今、「循環畑」をしています。ワークの中で史郎くんに、「私のストーリーを聴いて、何が心の琴線に触れましたか?」と聞いた時に、史郎くんから「電力会社にずっといる以外の旅路を選んでくれてありがとう」という言葉をもらって…。とっても、ズーンときました。
当時は電力会社での労働の対価としてお金があり、仕組みの上に乗っていることで、経済的には安定していました。それ以降、そうではない道を選んだ自分をどこかで責めていた自分もいたんです。昨日、史郎くんの言葉を聴いて、自分を自分で許せた感覚がありました。
史郎:ゆうちゃん、ありがとうございます。この時に必要なことが、パッと出てきた感じがします。お母さんへの感謝も生まれていたもんね。
優子:はい、思い出しました。母が30何年前に「食が危ないからこういうもの食べさせちゃダメだよ」とか、そんな本を読んでいたんです。そういうことに影響されていることを改めて感じました。
史郎:本当に感謝が湧いてくるね。僕もやってもらって、「ナラティヴ・ワーク」で「自分の話がどう相手の琴線に触れたのか?」であったり、最後にまた、話し手が「どういう未来が湧いているのか?」を考えられるのが良かったです。こうさん、まずは、ギフトを頂いた感想として、ちょっと話してみました。こうさんの方で、今、何か湧いていることがあればぜひ聴かせてください。
「この道を選んでくれてありがとう」ということを「積み重ね続けられる関係」
こう:まず、ありがとうございました。嬉しかったです。で、何て言うんだろう。何て言ったらいいかな。いくつか言葉で残っていることがあるんですけど。「自分で歩んできた道がいいだろうけど、どこか罪悪感がある」ということについて、「この道を選んでくれてありがとう」ということを「積み重ね続けられる関係」が大切なんだろうなと、優子さんのお話を聞いて感じました。
理屈では分かるし、そこが大きなものでは無いにしても、人との繋がりでそう感じられることが大切だと思いました。史郎さんが「その時に必要なことが出てきた」と言っていて。色んな含みがありますよね。「その時に必要なことが出てくるんだ」というのがとても興味深いことでした。あと、それを通して、「自分が救われた」とか「許された」とか思うことで、「お母さんへの感謝」が生まれたと仰っていて。自分がそうなると、お母さんに「感謝」が生まれるんだと感じました。
家族への感謝の話を聴いていて、自分も昔、鹿児島や山口に住んでいた時に「この土地は誰のものか?」と思いながら住んでいたことを思い出しました。でも、なんか、「そこにあったもの」が今の自分の中で生きているということ。家族が用意してくれていた環境とか。そういうのが今も生きていると知ったら、お父さんとか喜ぶだろうなぁと感じていました。
史郎:こうさん、ありがとうございます。こうさんのお話を聴きながら、ゆうちゃんの方で感じたことがあればぜひ。
優子:必要なものが出てくるっていうのがそうなんだなって思いました。自分として、「まさか、こういうことが出てくるんだ」と改めて感じました。
過去の経験から新しいナラティヴが生まれたというような感触
史郎:僕もゆうちゃんから琴線に触れたことを聴かれたときに、普段とは受けたエネルギーが違いました。これまでも、そのような話はしたことはあったんですけど、「自分の言い方」もこれまでと違ったと思います。「電力会社を転職してくれてありがとう」とは言わなかったですね。過去の経験から新しいナラティヴが生まれたというような感触です。「ありがとう」とか「許される」とか、そういう関係が嬉しいなと思います。
優子:心も身体も軽くなった感じがありました。
史郎:軽くなりすぎて、「餃子でも食べるか!」となりました(笑)そんなところが、こうさんからもらったギフトですね。
史郎:改めて、ゆうちゃんは、「ナラティヴ・ワーク」と「循環畑」との繋がりをどんな風に感じましたか?
優子:「言葉として発せられたがっていることが出てくる」という感覚が近いと思いました。たまたま、昨日、あるプログラムの参加者の方が、循環畑の畝で、雨水だけで育った野菜を紹介した時に「種を蒔いていない雑草も出ていますね。雑草は気持ちよく生えているけど、直線で育っている野菜はとても窮屈そうだ」と仰ったんです。
さらに話をお聴きしていくと「前の自分は、野菜を見て窮屈だと思わないだろうけど、今はとても窮屈な感じがあるんです」と。私の方から「もし、お野菜が『●●さん』に何か言葉を伝えてくれているとしたら、どんなメッセージを言っていると思いますか?」と聞いたんです。
すると「ほかっといてくれ!(ほっといてくれ!)っていう感じだよね」って。その方も「以前はそう思っていなかったのだけど、今、そう感じているってな」って。その経験が、今、重なって、思い出されました。
史郎:確かに、縦横無尽に、すぎなちゃんが生えているもんね(笑)
優子:その方の言葉にものすごいパワーがあったのを感じました!名古屋弁で「ほかっといてくれ」って!出てがっている質感がそのまま出ていることを感じました。
史郎:面白いですね!ゆうちゃんの意図とは違うところで盛り上がって(笑)畑の野草さんが入口になって、語られたがっていることが出るきっかけになった感じですかね^^ゆうちゃん、ありがとうございます。
次回は「ナラティヴ・セラピー」のこうさんが感じた「循環畑での体験」をお聴きしていきます。
「第二話:「ナラティヴ」から「循環畑」へ −その①−」へと続きます。